都城市山之口地区まちづくり協議会ポータルサイト
Yamanokuchi cho was a town in the middle of Miyazaki prefecture,
belonging to Miyakonojo-city.
人と人 えがおでつなぐ山之口
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山之口弥五郎どん祭りは養老4年(720)大和朝廷による隼人征伐(はやとせいばつ)の故事により「放生会(ほうじょうえ)=生類を放つために執り行われる儀式」が行われ、後に大人人形「弥五郎どん祭り」として伝えられ、1,000年を越える歴史の中で庶民に親しまれながら、郷土の誇りとして先人から大切に保存・継承されてきた貴重な伝統行事です。
国の重要無形文化財選択 平成2年2月27日
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島津家の参勤交代の折、京都・大阪ではやっていた「岡本文弥」が語る人形浄瑠璃を習い覚えた郷士たちが持ち帰り演じたとされています。
その裏づけとして文政9年(1826年)に書き写したといわれる人形語り台本が残っています。以来、幾多の変遷を経て麓地区の古老たちに伝承され、昭和初期の戦争等で途絶えた時期もありましたが、昭和26年7月に復活し、その後地区民の熱心な支援もあって保存会が結成され、今日に至っています。平成7年には国の重要無形民俗文化財に指定され、貴重な文化遺産として高く評価されています。現在、このような形態で人形浄瑠璃が伝承されているのは全国で4箇所(石川県尾口村、新潟県佐渡、鹿児島県東郷町、山之口町)だけです。
国の重要無形文化財指定 平成7年12月26日
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古来より、霧島盆地内には戦勝と、その成就、五穀豊穣などを祈願して、神社に鎧、兜、刀、槍、馬、穀物などを奉納したり、土地や祭米を寄進するなどの風習がありました。
このあげ馬祭は地区の鎮守である南方神社(旧諏訪神社)に奉納するものです。
県指定無形民俗文化財 平成6年2月25日指定
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標高210メートルの高台に、21種2万8千本ものあじさいが植えられています。
高台の頂上には高さ15メートルの展望台があり、都城盆地を一望できます。あじさいの時期は、例年5月下旬~6月中旬です。春にはサクラ、秋には紅葉を楽しみながら、散策できる公園です。
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民俗芸能のデジタルデータ化のひとつ 着物のテクスチャ(シミュレーション)
人形に使われている着物を、出来る限り同じように表現するために製作いたしました。
民俗芸能のデジタルデータ化のひとつ モーションキャプチャ
民俗芸能のデジタルデータ化のひとつとして人の動きをキャプチャ(記録)し活用する方法があります。
松尾城(三俣城)現あじさい公園
松尾城(三俣城)現あじさい公園 by PERKUP on Sketchfab 現在、あじさい公園となっている丘陵には、中世(鎌倉~室町時代)の城郭が築かれており、この地域の古い地名から「松尾城」(または「三 […]
高砂婆:たかさごんばば
人形浄瑠璃3Dモデル 高砂婆:たかさごんばば
太郎:たろう
人形浄瑠璃3Dモデル 太郎:たろう
早姫:はやひめ
人形浄瑠璃3Dモデル 早姫:はやひめ
能登守:のとのかみ
人形浄瑠璃3Dモデル 能登守:のとのかみ
阿古屋:あこや
人形浄瑠璃3Dモデル 阿古屋:あこや 全長 19糎 ノド木 3.3糎 白胴串長 16.8糎 肩板長 23糎 一木植毛
景清:かげきよ
人形浄瑠璃3Dモデル 景清:かげきよ 全長 19.5糎 ノド木 3.5糎 白胴串長 20.5糎 肩板長 24糎 一木植毛 髭(植毛)
山之口の史跡を巡る弥五郎どん ウオーキングコース
只今編集中です 少々お待ちください
乗平 矢旗踊り
この踊りは大、中、小三個の鉦を打ち鳴らす三人を囲む形で輪になり、
山之口地区平和講演会を開催しました
令和元年11月13日(水)に山之口勤労福祉センターにて戦場カメラマン「渡部 陽一 氏」をお招きし、都城市山之口地区の中学校生徒全員、小学校5年生、6年生の皆様を対象として【命を大切に 可能性を信じて】と題して【山之口地区 […]
♡山之口地区ふれあい大運動会を開催いたしました♡
山之口地区ふれあい大運動会を令和元年10月20日(日)に開催いたしました。 山之口町民1,200人で人文字に挑戦しました。運動会にご参加の皆様に感謝いたします。
山之口 弥五郎どん祭り
「弥五郎殿」は養老四年(七二〇)の「隼人の乱」が起きた時の隼人族の首長であったと言われています。
山之口麓 文弥節 人形浄瑠璃
人形浄瑠璃とは三味線と語りと人形の探りが一体となり、物語りなどを演ずる「人形芝居」をいいます。
花木地区郷土芸能 あげ馬祭り
古来より、霧島盆地内には戦勝と、その成就、五穀豊穣などを祈願して、神社に鎧、兜、刀、槍、馬、穀物などを奉納したり、土地や祭米を寄進するなどの風習がありました。
浦安の舞
上富吉、麓、下富吉、花木の各地区から選出された十四~一五歳の女性4名が、舞を披露します。
下富吉 奴踊り
江戸末期に三味線に合わせて踊られたと伝えられています。
下富吉 俵踊り
五穀豊穣を祈願する地区農民の踊りで三味線、太鼓、拍子木に合わせて小さな米俵をかざして刈り入れから蔵づめまでを元気に踊ります。
下富吉 地しめ踊り
地しめ踊りは昔の家建ての様子を地しめから、柱の組み立て、落成のひとんぎまき(餅まき)、お祝いの宴までを再現する踊りです。
下富吉 そば切り踊り
この地方では、昔から「そば」が沢山作られ、祝い事には必ず「そば切り」が食べられていました。
的野正八幡宮(圓野神社) 神楽舞
この舞は幣や鈴、剣、扇などを持って舞うもので神舞と呼んでいます。
桑原 奴踊り
地区のよかおごじょ(娘さん)が中心に踊ります。
中原 太郎踊り (太郎べぶ)
天保十四年(一八四三)に完成した三国名勝図会に「的野正八幡宮は二月初卯の日祭りあり、この日には田鍬初めの謂れをして牛の形を作り懇田の壮をなした」
正近 棒踊り
その昔、島津藩主が士気を鼓舞するため、農民にも武道を教えたと言われ、この棒踊りがはじまったと伝えられています。
川内 嫁女踊り
昔の結婚式は式場で挙げる結婚式とは違って婿殿の家の座敷で挙げるものでした。
向原 奴踊り
右角立の白鉢巻で、浴衣を着て角帯をします。
六十田 剣舞 曽我兄弟・四十七士
六十田剣舞は宮崎県都城市山之口町麓地域の六十田地区で受け継がれてきた市指定無形民俗文化財である。
五反田 飴売り踊り
かすりの着物姿の娘さん達が頭に花や旗で飾った桶の中に飴を入れ、唄と拍子木に合わせて踊ります。