地頭仮屋跡・人形の館
麓人形の館・藩制時代の役場跡
所在地 山之口町大字山之口二九二一番地一
藩制時代山之口郷の政治行政の中心であったところで明治になっても役場が置かれ、花木に移転するまで続きました。
郷の行政府の下であったのでこの地を府下といい後に麓となったといわれています。
都城島津家(北郷氏)が慶長十九年(一六一四)山之口・高城・勝岡(三俣院)を本家の鹿児島島津氏に献上して藩の直轄領となってからは、地頭仮屋が設けられ政務はここで執っていました。
初めの頃、地頭は鹿児島から移り住んでいたが後には、鹿児島にあって日常の事務は地頭仮屋の曖役(あつかいやく)その他の麓衆中(のちに郷土と改められた)の中から任命された役人が執務し重要事項は、早馬で鹿児島まで使者をやり決裁をうけていました。
石風呂
昭和初期まで使われていた、石をくりぬいて作ったお風呂。