山之口城(亀鶴三石城)
山之口町大字山之口字大門
薩隅日地理纂考によると、「山之口城は一名を亀鶴城と号す、城の東西に尾筋ありて、東を亀の尾、西を鶴の尾と呼び、土人相伝へて悪七兵衛景清これを築くと言う。 建武以来土肥実重の居城にて其子孫世襲せしを明應四年伊東尹祐これを奪い其後島津氏に属して北郷忠相領主たり、 慶長の初より伊集院忠棟代にてこの地を領し其子忠真反して其臣倉野七兵衛、樗木主水を将として守らしむ、十二城の一つなり」とあります。 元和元年(一六一五)の徳川秀忠の命による「一国一城令」により薩摩藩内の各城は本城の鶴丸城のみを残しすべて破却されました。