安楽寺(浄土真宗本願寺派 無量山)


所在地 山之口町大字富吉三五二七番地


安楽寺は現存する本町唯一の寺院です。藩政時代の安楽寺は飫肥藩清武村田上にありました。安政三年(一八五六)八月二十六日飫肥藩主、
伊東修理太夫祐帰の乞いによって寺号公称し同日付で佐々木深道(通称大学)氏が住職となったのです。
清武村安楽寺は、一向宗禁制の中での薩摩、諸県地方の熱心な信者たちの逃げ込み寺の役目を果たしていたと伝えられています。
山之口郷内信者一同の熱望により、安楽寺が越境移転したのは明治二十六年(一八九三)三月でした。早くも明治二十九年には本堂が建立されています。

 
藩政下での厳しい弾圧、明治三年から四年にかけての神道国教化政策に基づいて起った仏教の抑圧排斥、破壊運動(廃仏毀釈)などによって霧島盆地の寺院は全て抹消されました。


明治九年(一八七六)九月五目の新政府太政官令により信仰の自由が公布されます。以後続々と寺院の建設がはじまったのです。
いまや霧島盆地のほとんどの寺院は、一寺単位の門徒数の多さの点で、全国でも上位を占めると言われています。