南方神社
所在地 山之口町大字花木九五四番地
祭 神 上社 建御名方命 下社 八坂乙女神 事代主命
例祭日 十月二十七日
社伝に和銅二年の創建といわれます。往時は上下諏訪大明神と称し、七月二十七日の夜には民衆行列をなして参詣し、的野八幡宮浜下りに次ぐにぎやかさです。応仁元年(一四六七)弘治三年(一五五七)等の造営旧記があるので、創建は古い事がうかがわれます。棟札によれば、正徳四年(一七一四)四月、正徳六年(一七一六)二月に再興され、延享二年(一七四五)には舞殿が修復されています。旧社殿が老朽化したので昭和五十五年三月二十七日全面改築がされました。平成三年七月二十七日にはしばらく絶えていた「あげ馬」行列が復活奉納されました。その後四年ごとに「あげ馬」奉納は続けられています。
水神様 花本南方神社境内
花木川沿線の農耕地を守り、又子供達の水難事故等が起きないように東霧島神社から焼石を勧請して、一体は山之口小学校庭の南東側岩屋口のところにあります。
そしてあと一体は花木川をはさんで、現在地の池の中にそれぞれ祠堂を建立した。
南方神社の六面石幢
この石幢は花木地区前方の南方神社鳥居横に在り、仏龕と笠、宝珠部分は消失しているが、基礎(台座)、中台部分が残っており中台の刻筆により、
元禄十三年(一七〇〇年)に造立されたことがわかります。
元禄十三年
奉造立六地蔵一宇
庚辰四月二十六日願主権右衛門敬白