松尾城(三俣城)現あじさい公園
現在、あじさい公園となっている丘陵には、中世(鎌倉~室町時代)の城郭が築かれており、この地域の古い地名から「松尾城」(または「三俣城」)と呼ばれていました。
松尾城(三俣城)は、南北朝期に肝付兼重が築いたとされていますが、詳しいことはわかっていません。
室町時代おわりころ(戦国期)、都城盆地では伊東氏と島津氏が争いを繰り広げており、その頃に今も残る城が形成されたと考えられます。
松尾城(三俣城)跡では、あじさい公園の整備工事を行う前に、旧山之口町が主体となって平成3年(1991年)と平成5年(1993年)に発掘調査が行われました。
発掘調査では、主要な2つの曲輪(城に設けられた平らな土地)とその周囲の小さな曲輪を中心に掘り下げを行い、掘立柱建物跡や土坑(長方形や円形の穴)、溝、空堀、鍛冶作業の跡などが確認されました。
それらの多くは戦国期(16世紀後半)に築かれたと考えられます。
城郭とは、鎌倉時代から室町時代にかけて自らの領地の防御や敵陣の攻撃のために築かれた城や砦などの総称です。
「城」と聞くと、壮麗な瓦葺きの天守閣や櫓を想像することが多いでしょうが、そのような城郭の姿は近世に完成されたものです。
中世の城郭を構成する施設はほとんどが戦闘に特化しており、地形を巧みに利用し、改変することで守りを固めることが重視されていました。