山之口町大字花木字門田
建武三年(一三三六)の頃は肝付八郎兼重の在城といわれています。延文の頃(一三五六~一三六一)には畠山民部大輔の在城であり、
明徳の頃より宝徳年間(一三九〇~一四五二)までは「和田氏・高木氏」が居たといわれています。和田、高木両氏を島津氏御成敗後は樺山安墓守長久が在城のようです。
明応四年(一四九五)頃に伊東氏領となった時は日向諸県郡内の三俣院内八外城の一つとして長倉播摩守・海老原刑部小輔等が居ました。
天文三年(一五三四)には伊東氏家臣河崎甲斐守、村山氏等が在城でありました。都城領主北郷讃岐守忠相の手により落城させられ、その後は北郷氏領の城としてありました。