御番所 (関所)
御番所とは
山之口は中世から近世にかけて伊東氏と島津氏の争いの場として鰐塚山、青井岳の山々を狭んだ辺境の地でした。
両氏の領地争奪戦の攻防の 中でめまぐるしく領主の入れ替った所でもあります。薩摩藩では他領国境であることから、出入国手形検査と御禁制の品々の搬出入を厳しく取締まりました。特にこの山之口は藩の直轄領として統治するため藩内各郷より七十五名の郷士を派遣しています。
藩の外城制は厳しく、日向口の高岡、肥後口の大口、出水には「地頭代」を置き、山之口、倉岡、水引、穆佐、綾には特別「抑」を置き都城を「中抑」としています。