田島かくれ念仏洞
町指定 史跡
昭和五十四年十月二十日
所在地 山之口町大字富吉四九七九番地
洞内入ロ 高さ 一一〇cm 幅 七〇cm
洞内 直径 二二〇cm 高さ 一二六cm
霧島盆地内には沢山のかくれ念仏洞が現存しています。
これらの遺跡は当地方の貴重な文化遺産であり、藩政時代の一向宗(浄土真宗)禁制下における、
すさまじいまでの信者たちの「心念」対「圧政、弾圧」という両者葛藤の記念碑でもあります。
薩摩藩の一向宗に対する妨害、圧迫は、慶長二年(一五九七)二月二十二日藩主島津義弘が二度目の朝鮮出兵の際に出した「一向宗の事先祖以来御禁制の儀に候事。
彼の宗体になり候者は曲事たるべき事」などの布令に始まります。
この他本町には、荒平神社法座跡(川内大谷奥の山中)や、上森、木上、吹上、田原など四箇所のかくれ念仏洞がありましたが、原形をとどめているのはこの田島だけです。
一向宗に向けての権力監視体制は明暦元年(一六五五)「宗体座」が設けられたのを最初に、名称を変えながら安永七年(一七七八)「宗門改役」という名で明治を迎えています。
信者に対する役人の拷問は悪辣をきわめ、水責め、火責め、水牢、木馬などの体罰を容赦なく与えたのです。
責め苦に耐えられずに白状すれば禅宗に改宗を命じられ、あくまで拒否すれば死刑に処せられました。
血判の上改宗を誓っても処罰は免がれられず、特に武士の場合は切腹の重刑。軽くても家禄召揚の上百姓として追放処分を受けています。
念仏はいのちなり 念仏はまことなり 血吹き 涙あふる 暗き世に
わが無碍光(むげこう)は されど その力にては 消えざりき
※無碍光・・・何者にも妨げられない仏の発する智恵や慈悲の光