「門出八嶋」 初段「出陣の場」(うっがんめい)
さてもそののち、かくとは知らず、さぶろうびょうえつぎのぶはうじがみのやしろにもうで、ぬさたてまつりらいはいし
「げんじのたいしょうごしゅつじん、ねがわくは それがしをおんともにぐせられ、じんりょくをもってこうみょうし、ほまれを残す雲の上、なむやむらさきみょうじん」
と、肝胆くだくゆうだすき。ゆうにやさしき女の声。いがきのうちより、
「つぐのぶさま、継信様」
と呼びかくれば、はっとおどろき
「なにもの!」
と言えば、たちいで、そでをひかえ、
「いや、申し、おきづかいな者ではなし。わらわは とうしゃのしんしょく、ゆきはるが娘、いくよと申す者なるが、ごしゃていただのぶさまとは忍びあいにあいぼれの、しんぞいとしさかわいさは、命もいそのうみをこへ、山をへだててさいごくへ、よしつねさまのおんともを、のぞみたもうとうけたまわる。かみかたはいろどころ。こころもとなう思われて、はじを言わねばりがたたず。りんきぶかきは生れつき。あにうえ様の御意見にて、とどめましてたまわらば、こんじょうごしょうのごじひ」 と、手を合わせてぞなげきける。
つぐのぶ、おりに幸いと、
「おお、どうり。さりながら、ただのぶけっきさかんにて、兄が意見は聞き入れず。おんみすがりついて泣きくどき、ひたすら泣いてとどめたまえ。なき給え」
と、おしゆるところに、ただのぶ・はやひめきたりしが、
「あれこそ兄よ」
「弟よ」
と、ふたりのおんなをめんめんにかくしおき、
「やあ、あにじゃひと」
「おゝ、忠信か」
と、互いに知らぬあいさつは、おかしくも又しゅしょうなり。しばらくあって継信、
「このたびの我がきみ、さいごくのおんとも、きょうだいのうちひとりとのごじょう。それがし まかり向かって、こうみょうすべきりつがんにさんけいせし折から。なんじは何とて来たりしぞ」
忠信聞いて、
「いやいや、この度は、それがしおんとももうすべし。そうりょうの身がうちじにせば、たれがいえをつぎ申さん。そうじてくにをまもるはうえたるやく。いっきむしゃのはたらきはしたたる者の役なれば、ぜひただのぶがおんとも」
とぞもうしける。継信、ききもあへず、
「おことが言葉もいちりあり。さりながら、そのほうは若き者なれば、さねかたまらず武者なれず、はれいくさはおぼつかなし。国に残りてふぼにつかえよ。このたびはつぎのぶが向かおうず」
と言えば、忠信きしょくをそんじ、
「『あきのこのみなどにこそ、さねかたまる』ということあれ。『若きものにてはれいくさがなるまい』とや。これ勝負はろうしょうによるべからず。兄とは生まれたまえども、はれいくさはあぶなもの。ただ、それがしをのぼられよ」
と、あざわらうてこそ申しける。継信腹にすへかね、
「はれいくさはあぶなしとは。さては それがし、おくびょうすべき者と思うか」
「おゝ、臆病は目の前よ」
継信いよいよ腹を立て、
「おくびょうものの弟なれば、なんじはなおも臆病ならん」
「のう、はずかしけれども、この忠信は、おくびょうすべきほだしなし。きでんは国にほだされ、さてこそおくしたもうらめ」
「いやうろたえもの、国に引かれんとは。我が親はなんじも親。もってはおなじどうりよ」
「のうあにじゃひと。おやにおやはかわらねども、この忠信は、しだのさぶろうがいもうと、 はやひめというほだしをもたぬ」
と言う。
継信はっと思えども、さあらぬていにて、
「ふゝ、それはたがこと。身におぼえなし」
と言えば、忠信ふっとふきいだし、
「ひつじょう、おぼえそうらわぬか」
と、ひめのてをひいていでける時、継信、立って逃げんとす。
はやひめすがり引きとどめ、ただのぶよろこび、
「そりゃ、そこが泣きどころ。泣け泣け」
と呼ばれれば、
「さいごくへは、のうやりませぬ」とぞなきたまう。
つぐのぶ、せきめんしながら、
「いくよ、いくよ」
と呼びければ、するするとはしりいで、
「ただのぶさま、わらわをすててさいごくへゆかんとは、おこころも変わりしか。どうでもやらぬ」
とすがりつく。
「そりゃ、そこが泣きどころ。はやひめなけ泣け」
「いくよなけ」
きょうだいかおにそでおおい、花にうぐいす、ほととぎす、いちどにもつすがたかや。ただ泣け泣け、とぞばかりなり。
かかるところに父のしょうじ、きみをぐぶし、しだもろともにきたらるる。きょうだいおどろき、ふたりのおんなを隠さんとす。
「ああ、しばらくしばらく。苦しからず」
と押しとどめ、
「やれ、子どもよ。君をおんともつかまつり、これまできたることのよぎなし。きょうだいのうち、ひとりたのみさたとのおおせをこうむりゆみやのみょうが、しょうじがろうのよろこびなり。『あにかおとうとか、いづれかごうなるをまいらせん』と思うところに、兄弟、ぎをおもんじてあらそうしんてい。しょうじが子どもはごうのもの。おお、たのもしし、たのもしし」
とうれしなみだを流さるる。
「さてなんじらはしのびつまを持ったるとや。なさけにまようは、よきつわもののくせぞかし。二人のじょうろうをよめに取り、子どもと思いなぐさまば、しょうじはろうのたのしみあり。このうえは、きょうだいもろともにおんとももうせ」
とありければ、つぎのぶ、ただのぶよろこびて、いさむこころのゆゆしさよ。しょうじ、かさねてもうさるるは、
「かれらきょうだい、しんはごうにて、弓矢かけおい、うちものとり、こま引き寄せて打ちのりて、てきに向かうその時は、せんきばんぎにもおとらぬ者にて そうらへども、幼き時よりしゅを持たず、ほうこうの道はぞんぜず。わがきみにまかせまいらする庄司が心をさっしあって、おんめをかけてめしつかわれくださるべしとひきまわしてたべ、ほうばいたち。
さてなんじらも、今が親子の別れなり。父が教訓を保ちて、きみにふちゅうつかまつるな。きょうよりしては、しょうじを親と思うなよ。親にも主にもきみひとり。いちめいをたてまり、みは無き者とこころえて、よきてきと見るならば、おしならべて、むずと組み、くび取りて名をあげよ。じんぎしらぬはいのししむしゃ。あにはおとうとをかいほうし、おとうとはあににそむくなよ。引くときもきょうだいつれて引け、かくも兄弟連れてかけよ。兄を討たせて、くにもとの父や母が恋しゅうとて、おとうとひとりかえろうと思うな。弟をうたせて兄帰るな。おいたる親さえ思い切る、いまをさかりのわかものども、心を残すなよ。きょうのかどでをまつごときわめ、いさぎよくうちじにせば、生きて親子のたいめんよりも、なおしもうれしかるべき」
と、すずしげにいさむれども、さすがろうごのおやこのわかれ。さえぎるなみだせきあえず、かく言うはふびんさゆえ、
「花の様なる若者を 死ねとはさらに思わねど」
ごぜんをも打ち忘れ、きょうだいにすがりつき、しばし消え入り泣きぬれば、おんたいしょうを始めとし、ありあうしょぶしいちどうに、そでをしぼらぬ者はなし。
しかるるところへ、いるまごおりのむしゃどころ、あんざいのだんじょうたろううじしげ、あわただしくはせさんじ、「さてもへいけのいちもん、きみのごはっこうのよし つたえきき、しこくやじまにたてこもり、いくさのよういまっさいちゅうとうけたまわりそうろう。かたときも早くごしゅつじんしかるべきと候」
と、おおいきついで申しける。はんがん、きこしめし、
「おお、もっともさぞあらん。さりながら、いくまんきこもるとも、ものの数とは思わぬなり。いかにだんじょう、これなる者はさとうしょうじがこども、さぶろうひょうえつぎのぶ、しろうびょうえただのぶという兄弟あり。こうごこころを合わせ、このたびのかっせん、いさぎよくはげむべし」
と、おもむろにのたまええば、だんじょううけたまわり、
「さてはききおよびし、ごきょうだいにてましますよな。誠にごきりょうと申し、 あっぱれおさむらいにそうろう。
さればいくさはせいのたしょうによるべからず、ただいっしんのはげみだいいちとかや申し候。きでんたちはまだぶいくさにて、このたびが初めならん。かまえてかまえて、ふかくばし取りたもうな。さらば、きみまでのごちじょくぞ」
と、人もなげにぞ申しける。きょうだいむっとせきあげしが、おししずめ、
「いかにもいかにも。おおせのごとくわれわれきょうだいは、ついにいくさとやらんはいかようにはたらきそうろうも、かつてぞんぜず。しかしながら、きでんのさしずを以って、ずいぶんはげみもうすべし。もしまた、いくさのしだいにより、さきがけ、いけどり、ぶんどり、こうみょうは、しかつにそうろうあいだ、かならずお気にかけられよな」
と、おこがましく申しける。だんじょう、きしょくをそんじ、
「やあ、きょうだい。きのうきょう、さむらいにまじり、せんじょうにてこうみょうせんとや。さても口はちょうほうなもの。言われたり言われたり。いくさはさきがけいたさんより、只、我がげちにまかせられ、いのちだいじにせられよかし。あしき意見は申さぬ」
と、あざわろうてこそ申しける。
兄弟は今たまりかね、
「おお、この上はたださて、ごへんのげちにまかすべし。ごしゅつじんのかどでなれば、ひょうほうけいこつかまつり、ごでんじゅにあずからん。いざ参りそうらえ」
と、たちに手をかけ、つめかける。だんじょうも飛びしさり、刀たちをぬかんとしける時、志田、中へ割って入り
「これ、これ、このけいこ、それがしもらいもうさん。さいぜんよりのつめびらき、皆、君をだいじに思わるゝゆえにてあり。さむらいたる者は、さほどの人ならでは、せんじょうへはいでがたし。おお、もっとも、もっとも」
と、わざとざきょうに取りなして、ことなくしずめしは、誠にぶんぶの侍なり。はんがんごらんじ、
「しだがりょうけんいちいちもってしごくなり。いかにそうほうのものども、かまえていしゅをのこすべからず。今このたびのしゅつじんは、よしつねがいっしょうのはれいくさぞ。ずいぶんはげめ、めんめん」
と、いさみにいさんでそれよりも、さいごくさしてはっこうあり、かどでめでたし、せんしゅうらく。めでたかりとも、なかなか申すばかりなりにけり。
「門出八嶋」 第二段「八嶋合戦の段」(いくさんば)
(弁慶の段切)
さてもそののち、くろうはんがんよしつねは、よりともごうのだいかんをこうむり、一の谷を攻めやぶり、やしまにごじんをめされける。
ときはぶんじさんねんさんがつじゅうはちにち。たいしょうぐんの御出で立ちあかじのにしきひたたれ、むらさきすそごのおんきせなが、あぶみふんばりくらがさに突っ立ちあがり
「いちいんのおんつかい、けんびいしごいのじょう、みなもとのよしつね」
とたからかになのりて、よせくるへいけのひょうせんを、今や今やと待ちたもう。さとうびょうえつぐのぶは、父が送りしこざくらおどし、わたがみたかにきながし、けさまでちゃくせしよろいをば、わしのおにうち着せて、うまをのりすて、おんうまの前にかしこまる。たいしょう、ごらんじ、
「彼はいかなるこうじんか」
「いや、これは継信が弟にて候う。おんうまのさきにてうちじににさせ申さんため、召し連れ候う」
と申せば、判官重ねて、
「継信が弟はただのぶばかりと覚えしが、こころえがたし」
とのたまえば、継信つつしんで、
「さん候う。彼はこのあたりのかりうど、わしのおさぶろうと申すもの。人と生まれし思い出に、さむらいに交りたきよし、彼が姉たって嘆き候ゆえ、いろしらぬあずまえびすの継信め、志にほだされ、兄弟のやくだくつかまつって候う。あわれおんうまの口に召しつけられそうらわば、ありがたくそうらわん」
と申し上ぐれば、義経ほとんどえつきあり。
「あっぱれきりょうの若者。継信はかほうものに。あやかりたし。いかにもそれがし召使い、弓取りとなすべきか、とてものことのついでなれば、姉はどふぞなるまいか」
と、たわむれ給えば、わしのおはよろいのそでを顔にあて、恥ずかしそうなるむしゃぶりに、敵もたちをば捨てぬべし。あんざいのだんじょうたろう、こうじんよりつうっといで、
「継信殿のご舎弟、御近づきになり申さん。やあ、これはこのごろじんやにて、わらんじうりたるこわっぱなるが、これがきでんのご舎弟か。はて、よい弟を持たれたり。こうごわれらもとくいとなり、わらんじあつらえ申すべし。軍中にもちゆるからは、ひゃくりもにひゃくりも歩まるるよき草鞋が求めたし。あたいにはかまわず、ほうばいのなかなれば、ごせんさんせんは、ただにもとらせてやろうわい」
と、さもにくていにぞ申しける。継信はむっとせきあげしが、おししずめ
「おお、やすいこと易いこと。さりながら、百里、二百里はく草鞋が何の用に入り申す。ふふ、がってんたり合点たり。臆病風に寒気立ち、大敵に追っ立てられ、本国へひとっ飛とびに逃げ行くための草鞋か。おお、安いこと」
といえば、弾正重ねて、
「これさ、何にもせよ、我がすねは、人に変わってたくましし。これに合わせて作ってくれよ」
と、どそくを継信がひざもとに踏みいだす。継信、たちに手をかけ、
「ほほ、みごとなだんびらずね。この足にて逃げたならば、てんじくまでもひとっ飛とびならん。ようろうぼね、切り取って、かたに合わせて作らせん」
と、たちを抜けば、だんじょうも飛びしさってずばと抜く。どい、ささき、はたけやま、べんけいなどさゆうにすがり、
「これは不吉」
としずむれども、
「はなせ放せ」
とねじ合うところに、平家のひょうせんこぎ連れて、ときの声をぞあげにける。そのひまに、同士いくさもようよう治めしずまりぬ。三人乗ったるしょうせん、磯近く漕ぎよせ、たいしょうふなはしにつうっと立ち上がり、
「いちぽんしきぶきょう、かずらはらのしんおう、くだいのこういん、のとのかみのりつね。げんじのたいしょうよしつねに、けんざんのしるしに、こひょうながらなかざしを参らせん。受けてご覧そうらえ」
と、たいおんあげてぞ申さるる。はんがんじんとうにこまかけすえ、
「おお、ものものし。のとどのの御ゆんぜい、関東までも隠れなし。ただなかに受けとどめて、くろうがよろいのさねためしとうぞんずるなり。このほどがしょもうぞう」
と、胸をたたいての給えば、すわやげんぺいりょうたいしょう、あんぴはここぞとてきみかた、かたずをのんで見るところに、小桜おどしにかげのこま、みかたの陣をいちもんじに乗り分けて、やおもにかけふさがり、
「そもそも、これこれはでわのしょうじがそうりょう、さとうさぶろうびょうえつぐのぶとは、我がことなり。ほんごくをいでしより、ろめいはきみにたてまつり、かばねは八嶋のぎょこうにあたう。能登殿のおおやを、それがしこころみつかまつり、えんまのちょうのかんとうにうったえん。やつぼはきみとどうぜん」
と、つるはしをにさんどなで、にっこと笑うて待ちうけしは、目をおどろかすありさまなり。
のりつねは、じんある大将。感じさすが放ち得ず、きくおうしきってすすむれば、また、げにもとや思われん。ごにんばりにじゅうごつか、からりとつがい、ひきしぼり、しばし固めて、えいやっと切って放せば、あやまたず継信がむないたに、はっしとあたり、ちけむりがぱっとたつ。継信ゆみやうちつがい、とうのやを放さん引かんと、にさんど、しごどしけれども、たましいくらみ息も切れ、ゆんてのあぶみけはなって、めてへかっぱとおちけるは、むざんなりけるしだいなり。菊王首とらんと、おり立つところに、忠信がはるかに放つ矢が、左の袖にずばっと立ち、どうっと伏すを、能登の守、ふなより飛び降り、菊王がうわおびをつかんで、ふなぞこへ投げ入れ給えば、たいりきにうっつけられ、みじんにくだけて死してんけり。これを見て、平家のぐんぴょう、舟乗り捨てて、われさきにとくがへさっとうち上がる。兄継信がきょうようと、忠信まっさきかけければ、わしのお三郎・しのぶ兄弟、彼に続いて、げんじのつわものかけちがえ、入れ違え、もみにもうてぞたかかいける。
いくさなかばにむさしぼうべんけいは、首にさんじゅう、じゅずつなぎにして、ひきずり来たり。
「討たれしもののついぜんに、くびじゅずを思いたち、今少したらざれば、ほうがに入りたまわれ」
と、なぎなたとりのべ、切ってかかれば、よせてはさっとひきたるる。
「ええ、しわいこと。ごじょうに何がおしいぞ」
と、逃げくる敵を追い回し、ねじ首・打ち首・胴ちぎり・つつぬき、むれたかまつをたてよこに、おい返し、追い戻し、打ち立て打ち立て斬りまわるは、すさまじばかり勢いなり。波にただよい失せしもあり、じんばにせかれて死すもあり。かなわじと、平家のぜい、飛び乗り飛び乗り舟は沖、くがはじんしょへさっとひく。弁慶は立ち帰り、討ち取る首をつなぎそえつなぎそえ、
「おお、これでこそじゅずいちれん、ひゃくはちぼんのう作らんよりごしょうがだいじ。なむあみだ。なむあみだぶつ」
とねんぶつし、本陣さして帰りける。
「あっぱれいだてん・ばらもんてん・しょうきだいじん、ししおうの、荒れたる姿もかくやあらん」
とみなかんぜぬものこそなかりけり。
「かどでやしま」 第三段「八嶋の浦の段」(ちょうちんとぼし)
ゆうがすみやしまのうらのまつくらく、むれいるかもめたちさわぎ、とわたるふねのかじの音、しんしんとしてものさびし。やみの声、やさけびもいそうつ波にひきかえて、うつり変われるきょうかいは、明日の身の上おもわせて、あわれもよおすおきつ風。いそやまざくらかけちるも、心をくだくたねとなり、いとものすごきうらわかな。つぎのぶがちゅうきん、かんじおぼしめし、
「いまひとたびたいめんせばや。たずねきたれ」
とただのぶおおせをこうぶりて、しのぶきょうだいさゆうにぐし、泣く泣くごじんをいでけるが、
「いざ、たちわかれ、たずねん」
と、しおやのつじよりしゅじゅうはさんぽうへこそわかれけれ。まだよいやみのゆうぐもり、うらさびわたる春の夜は、
こころぞ秋の夕なるに、すざきのどうのにしひがし、むれたかまつのきたみなみ、
「おうしゅうのさとうどのやおわするか。つぎのぶ殿やおわするか。君よりのごじょうにて、弟の忠信がおむかいにきたりし」
と、しずかにようでとおれども、こたふるものこそなかりけれ。けさはきょうだいつれたりに、こよいはじめてひとりゆく、やしまのなみのおとさえも、きのうに変わるこころして、
「のうつぎのぶどの、あにうえ」
と呼ばんとすれども声立たず、峰にひびくは松の風。とまやの方にかすかなる、ておいの声の聞こゆるを、うれしやたれかと走り寄れば、むれてともよぶつまちどり、ぱっと立ってはみだれ行く。後ろの山に声するは、しのぶが呼ぶこだまにて、継信ともさとうとも、こたうるものはなかりけり。今は力もつきゆみに、いるかいなさにかけめぐり
「のうあにうえはおわさぬか。継信殿やおわするか」
と、声をばかりに呼び立て呼びたて、またふししずみなげきしは。
むざんやな、継信は、せいひょうにきゅうしょをいられ、だいじのいたでといいながら死にもやれず、かたわれふねのかたかげにただよひ伏していたりしが、弟の声を聞くからや、ようようにはいいで、
「忠信か」
と聞くもうれしく走りより、
「まだぞんめいましますか」
と、すがりついてだきおこし、ひたいをおさえ、
「おんてはいかが」
と問いければ、今をかぎりの継信は、我が身のことはさておいて、
「きみはいかほどにわたらせたまふぞや。おんみは傷をもおわざるか。みかたはいかほどうたれしぞ」
たえゆくいきのもとにさへ、ゆみやとりみのいちごんと伝え聞くだにあわれなり。忠信涙をおさえ、
「君もわれらもつつがなく、いくさは味方のしょうりなり。おんとも申せとのおおせなり。ぐしまいらせん」
と言いければ、
「おおうれしし。さいごに君をはいしごぜんにて死すべきぞ。つれてまいれ」
というところに、しのぶきょうだいかけきたり、とかくしつらい、すさきにやしろのやぶれどに、継信をいだきのせ、さきは忠信、後ろは信夫兄弟がかきそえて、涙にしおれて、たどたどとゆくや、東の山のはに、月ほのぼのといでにけり。