六十田 剣舞 曽我兄弟・四十七士
六十田剣舞は宮崎県都城市山之口町麓地域の六十田地区で受け継がれてきた市指定無形民俗文化財である。
日露戦争に出征した藤井政時氏が戦友から習った剣舞を、地元の若者教育に役立てたいと願い郷里に持ち帰り、地元で広めたものとされている。
六十田剣舞保存会として地元の祭り等での披露、麓小学校への伝承活動等を行っていたが、10数年前から保存会員の高齢化に伴い、地区内で踊られることもなくなり、麓小学校での伝承事業も中断していた。
その後、平成27年に都城市立麓小学校の教諭や子どもの頃に踊っていた保護者を中心に、子ども達への指導を行い麓小学校への六十田剣舞の伝承を復活させた。
現在、有志を募り「六十田剣舞伝承サークル」として子ども達への伝承事業を継続している。
六十田剣舞は
・曾我祐成と曾我時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った話を題材とした「曽我兄弟」
・赤穂浪士の討ち入りを題材とした「四十七士」
・西郷隆盛が西南戦争で敗れ、故郷の城山で自害せざるを得なかった無念さを題材とした「詩吟城山」
の3つの演目で構成されている。
黒色の紋付袴姿にたすきかけの若者達が額に鉢巻、腰に両刀つけて曽我兄弟の仇討の場面を演じます。
又四十七士は赤穂浪士の討入りの場の舞であり、唄と太鼓、拍子木、三味線に合わせて勇壮に舞います。
山之口町山之口 六十田地区