中原 太郎踊り (太郎べぶ)
天保十四年(一八四三)に完成した三国名勝図会に「的野正八幡宮は二月初卯の日祭りあり、この日には田鍬初めの謂れをして牛の形を作り懇田の壮をなした」とあることからこの太郎踊は相当昔より踊られていたことが判ります。
テチヨ(主人)を中心とした家族が病にたおれた牛を元気づけようと努力する踊りで、日頃の農作業を舞踊化したものです。
地区の総鎮守的野正八幡宮(旧圓野神社)の春祭りに奉納し悪魔を払い、五穀豊穣を祈願し、地区民の無病息災と繁栄を願った農耕神事の一つです。
天保十四年(一八四三)に完成した三国名勝図会に「的野正八幡宮は二月初卯の日祭りあり、この日には田鍬初めの謂れをして牛の形を作り懇田の壮をなした」とあることからこの太郎踊は相当昔より踊られていたことが判ります。
テチヨ(主人)を中心とした家族が病にたおれた牛を元気づけようと努力する踊りで、日頃の農作業を舞踊化したものです。
地区の総鎮守的野正八幡宮(旧圓野神社)の春祭りに奉納し悪魔を払い、五穀豊穣を祈願し、地区民の無病息災と繁栄を願った農耕神事の一つです。