町・県・文化庁指定

出世景清
文弥節人形浄瑠璃保存会

台本 出世景清 文弥節人形浄瑠璃保存会

この浄瑠璃写は古来伝承されてゐたものと昭和四年六?月中旬前田清常氏???墓参へ帰省の砌「門出八嶋・出世景清」の記事近松名作集とにより艮栄?氏へ田邊祐政氏依頼し昭和四年十二月筆写し保存しありたるものと
昭和二十五年六月???発行の
朝日新聞社締?刊
日本?古典全書
佐佐木信綱 新村 出 津田???
辻 善之助 藤村 作 和辻哲郎

近松門左衛門集(上)
枝? ? 高野正己

右の本により、昭和ニ十七年三月筆写せるものなり
山之口人形浄瑠璃保存会 芸能部長 坂元鐘一 P1

本作は近松が義太夫のために執筆した最初の浄瑠璃で貞享三年二月四日より竹本座で上演されたと「操年代記」や「外題年鑑」に記されてゐる。

梗摡?
平家の落武者、悪七兵衛景清は熱田の大宮司の許に隠れ、その娘小野の姫を娶ったが頼朝が東大寺再建を発願し、秩父の畠山重忠が奉行として奈良に下ると聞き、人足に身をやつして普請場に紛れこみ重忠を狙った。
然し重忠のために見あらわされて、危い所を逃れる。
其の後景清は?の遊女、阿古屋の許に身をひそめてゐたが、阿古屋は二人の子供まであるものかゝはらず、兄の伊庭の十蔵にそゝのかされたのと小野の姫に対する嫉妬の念とから発作的に理性を失ひ、
景清が清水寺参籠の留守中に六波羅に訴人をする。時を移さず捕手の従人が、 P2

景清が宿坊轟の坊に押し寄せるが、景清は又もや音羽の峯を超えて落ちのびてしまう。其のために大宮司親子は六波羅に捕へられ、特に小野の姫は六条?河原でむごい拷問にあふ。そこへ??よりともなく、
景清が姿をあらはして自首し、其の結果姫と大宮司とは赦免される。景清が六波羅の牢屋に十重二十重に繋がれてゐるところへ阿古屋が二人の子供を連れて詫びに来たが、景清の怒りがとけぬため、自責の念にたへず、
我が子を殺して自害する。
やがて景清は獄門にかけられたが、不思議にも観世音が身代わりに立たせられた為?め、無事であった。頼朝は仏力をかしこみ景清を放免し、改めて日向国宮崎の圧を賜はる。景清はその祝ひに人々の所望にまかせて、
?引の事を物語り、さて頼朝を見て怨みの念を起らぬ様にと、みづから P3

両眼を抜ってその恩を謝した。 P4

妙法華?観世音菩薩、普門品?茎?は、大乗八軸の骨髄。信心の行者大慈大悲の光明に、あづかり奉る。観音威力ぞありがたき。こゝに平家の一族悪七兵衛景清は、西?四?の合戦に
討死すべき者たり?しが死は軽くして易し、生は重くして難し。所詮、命を全う?して平氏の怨敵、右大将頼朝を一太刀恨み、平家の恥辱をすゝがんと落人となり。
尾張の国、熱田の大宮司にいさゝかしるべありければ、深く忍びてゐたりけり。もとより、大宮司は平氏重恩の人なれば、 P5

深くい?はり一人姫に小野の姫と聞えしを景清にめあはせ、子とも聟ともかしづき給ふ心ざしこそわりなけれ景清大宮司の御前に出で、誠に某無二の御懇志にあづかり、
ながなが?在居仕り。身は埋木と朽ち果てん末頼みなき身ながらもせめて頼朝を一太刀うかい君父の恨を教じ。其の後は腹切ってとにもかくにも罷りならんと空しき月日を送り候。
然るところに今朝くつきやうの事を聞出し候。其の故は鎌倉殿は南都東大寺大仏殿を御再興あるべしとて、秩父の重忠?かの奉行を承り、昨日の暮ほどにそこの所を打って通り候よし、
たとえば頼朝七重八重の城郭にとりこもり、 P6

天地にくろがねの網を張って用心きびしく候とも、この景清が一念にてなどか狙はで候べき、さりながら重忠常に頼朝のそばを離れず神変不思議をかねたれば、その身は都にありながら
心は尚鎌倉殿のそばにあり、かう申す景清は二相を悟り候へども、重忠は四相を悟る頼朝に出合い討たんとせし事三十四度に及べども、重忠にへだてられ遂に本望とげ申さず、
然らば先づ重忠をさへ討取らば頼朝を討たんこと踵をぬぐらすべからず。重忠この度東大寺の奉行に上る事幸かな仕合せかな、天の時来りけり。忍びやかに南都に下り、
重忠が首ひっさげて参らんにはやお暇と申さるゝ、大宮司聞き給ひ P7

げにくっきょうの時節ござんなれ、かまへて人に悟られ給ふな、急いて事を仕損ずな、片時も早くとありければ北の方も悦びて、宗盛公よりたび給う。あざ丸といふ名剣を景清に奉り、
首尾よく仕おほせ給ひなば一日も逗留なくはやくおかへりましませと門出の盃出さるれば互に千秋萬ぜいと獅子の勢、龍の勢、勇み勇みて行く虎の尾張の国を立出でて、
奈良の都へ上らるゝ。いでその頃は文治五年春過ぎて、夏来にけらし白旗の、源氏の大将頼朝公は南都東大寺、大仏、再興の御願にて、 P8

畠山の重忠奉行職を承り、松にも花を春日野や。飛大の野辺に假屋をうたせ、横目帳付勘定方、大和大工に飛騨匠。杣入木づくり事終はり。今日吉日の柱立。
我が身は桟敷に一段高く、村濃の大幕打たせ、つゞいて見えしは本田の二郎。その外の侍ども。帳場帳場にしるしを立て、万槍、長刀、吹貫に、柳桜をこきまぜて、
花やかなりける御普請なり。かくて番匠の棟梁木工(もく)の頭。修理頭。おのがししなる出立にて、 P9

恵方に打ち向ひ、先づ家がため祭文を唱へつゝ。御幣を振って再拝し、手斧の初のその儀式、厳重にこそ務けれ、むべも富みけりさきくさの、三ツ葉四ツ葉の大伽藍、
手斧初のことぶきに、千代をかためて柱立、春は東に立ちそむる。これ萬物の始めなり。夏は南にめぐる日の、あやめが軒や薫るらん。秋は又西の空、つきせぬ契かたどりて。
天の河原の橋柱、しらげたつるやつき鉋、雲をそなたにやり鉋、冬は?にぞつゝ井筒、 P10

水こそ家の宝なれ。めぐれやまはれ井戸車。かまどにぎはうへつい殿、先づ陰陽の二柱、二本の柱は女神、男神を表したり、三本の柱は三世の諸仏、四本の柱に四天王、
四海泰平民安全と、祝ひこめたる墨壺の、?のすぐなる国なれば、宝や宿にみつめ錐、のこぎりくずの数々と、浜のまさごと君が代は、薮へつくさじ面向や、
然るにこの大伽藍?と申すは、聖武皇帝の御建立、三国無雙の霊場なり、兜率天の内院を、さもありありとうつるさる P11

堂の高さが二十丈、仏の御丈は十六丈、雲につゞけばおのづから、月を後光と三笠山、柱の数は天台の、一念三千の機をあらはして、三千本と定まれり。
?のたる木は法華経の文字の数。六萬九千三百八十四本なり。山内には獅子の狛。さて正面より四方四面の扉々の彫物には、松に唐竹、牡丹に獅子、豹と虎とが威勢を争ひ、
百千萬のけだものを、ほったてほったてくるりくるりと、 P12

厳?に追上げ追い下ろし、風にうそぶく波間より、紫雲を巻きて登り龍、又下り龍。玉をつかんで虚空に捧げ鱗を立てたる其の勢、手をつくさせて彫りつくし、
扨棟瓦、軒瓦、金銀瑠璃波?瑠、硨?、??、珊瑚琥珀水晶をふき?てふきたて珊瑚樹の、こまひをひつしと打ったる台(うてな)には、??錦に柱をつ?んで、
黄金の鋲を輝かせん。棟木を?ふの柱をして、南畝の農夫よりも多く、うつぼりに架するの P13

椽は機上の工女よりも多く、釘頭の磷々たるは、?にある粟よりも夛からしむ、仏法繁昌、四海鎭護の大伽藍、如意満足の柱立、目出度し目出度し、
おゝ目出度しと手斧おっ取り、てうてうてう。槌おっ取ってはしつていしつてい。鉋取りのべさらさらエイさらさらさらさらてうてうと打ち始め取っ始め、三三九度の御酒を捧げ、
千度百度、祈念して重忠に色代し、棟梁座をぞ下りける。 P14

手斧始めも事なくすぐれば、数千の番匠下々まで皆々小屋にぞ入りけり。
はるかの後より四十ばかりの男なるが、人足とおぼしくて、晝がれひの櫃を荷い、頬かぶりして通りける。秩父の執権、本田の二郎きっと見て。ヤアこれなる下郎奴はかゝる
晴いの庭なるに、頬かぶりは緩怠なり。色代せよととがむれば、彼の者小声になり、作法も知らぬ下々なれば「御めん」と言いてつゝと通る。 P15

どこへどこへ、さてさてぞんざい千萬なる奴めかな。頬かぶりを取らずんば、誰かある、それ、ぶて、叩けど、下知すれば、中間ども承り、一度にはらりと取りまはす。
番匠の棟梁この由を見るよりも、いや、これ本田殿、奴は其の日雇の人足にて、しや?別も知らぬ下郎なれば、さぞ推参も候べし。さりながら、かゝる目出度き折なれば、
たゞ何事も穏便にはからひ給へと申しけり。本田、聞き入れず。いやさ、彼めは、ちと人に似たる者の候と言えば、 P16

さてめづらしや、本田殿、人が人に似たるとは事新しう候。いかに、下郎奴、おのれ、大ぶんの銭を取りながら、かたをして働かず。横着ひろぐ故にこそ人々にも怪まれ。
祝儀の邪魔をなしけるよ。価を損にするまでぞ、まかり帰れと叱りければ、よき幸と、景清は、になひし櫃をおろし置き、迷惑さらにもみ手をして表にこそは出でらるれ。
重忠幕の内より御覧じて、しばらくしばらく如何に方々、平家の落人こゝかしこに忍び居て、 P17

君を狙ふと聞きけるが、たゞ今の人足まさしく、悪七兵衛と見しはひが目か。ヤアあれ余すな。言ふても、之は一大事の柱立の浄めの庭。けがらはしては如何なり。
前?なる野辺に追出し、討って捨てよと宣へば、もとよりはやる関東武者、我も我もと駈けむかう、景清之を見て、になひ棒に仕込みたるくだんの、あざ丸するりと抜いてさしかざし
大勢を弓手に受け、頭を叩いてからからと笑い、これお侍、 P18

某は尾羽を枯らせし、鎌倉の浪人者にて候が、朝夕にせまり、かるわびしき営みを仕る。さすが人目の恥かしく面をかくしてありければ、なんぞや某を、悪七兵衛景清とは、
まなこがくらみてありけるか。たゞしはその景清が、恐ろしさに面影に立ちけるか。よし何にもせよ。これ程まで雑言せられ、堪忍まかりならず。景清程あらずとも、
そっと手なみを見せんずと、例のあざ丸小脇にかいこみ、多勢が中に割って入り P19

火水になれとぞ斬合いける。時刻も移らぬ其の内に十四、五人斬り伏せ、重忠に見参せんとこのつまりかしこの隈にかけ入りかけ入り騒げとも、大勢に隔てられ、
今は早やこれまでなり。深入して雑兵に手負わせられては、景清が、末代迄の名折なり。又こそ時節あるべけれ。いておっ払うて落ち行かんと番匠箱をおしひらき。
大のみ、小のみ、手斧、のこぎり、やり鉋、くっきょう一の手裏剣とおっ取りおっ取り打ち立つれば P20

さしもに勇む軍兵共、わっと言ふてはさっと引く、尚も寄せ来る者共を小屋の小柱ひんぬいで、八方無究に振りまはれば、秋の嵐に散る紅葉、むらむらばっとぞ逃げにける。
おゝさもさうず、さもあらん、この度は仕損ずとも、この景清が一念の、剣は岩を徹さんものをと、をどり上り飛びあがり、歯がみなして行く雲の、月の都に上りける。
悪七兵衛が力術、早業、軽業、 P21

神通業、ただ飛ぶ鳥の如くなりとて、恐れぬ者こそなかりけれ。

第二

まことや猛きものゝふも恋にやつるゝ習あり、薪を?へる山人も立?する花の景清も、常に清水寺の観世音を信じ奉り。参詣の道すがら、清水坂のかたほとりに、
阿古屋いへる遊君にかりそめ臥のかり枕、いつしか馴れて今は早や二人の若をぞもうけゝる。 P22

兄の弥石?六才、弟の弥若四才にて、世におとなしくぞ見えにける。阿古屋はもとより遊女なれども、妹背の情こまやかに、世になき景清をいとほしみ、二人の子供を養育し、
兄には小弓、小太刀を持たせ父が家業を継せんと習はぬ、女の身ながらも兵法の打太刀し、武道を教ゆる心ざしたぐひ?稀にぞきこえける。かゝる所へ、悪七兵衛景清は、
重忠を討ちそんじ、やうやうとして清水や阿古屋が庵に着き給ふ。 P23

女房、子供を引きつれ、こは珍しや、何として御上り候ぞ。先づこなたへと請じける。景清申しけるは、ないない御身も知る如く。我平家の御恩を報ぜんため、鎌倉殿を狙へども、
其の甲斐なくて、一両年は、尾張の国熱田の大宮司にかくまはれ、空しく月日を送りし所に、この度畠山の重忠東大寺、再興の奉行に上るをよきしほと、先づ重忠を狙はんため、 P24

我が身を賎しき下郎にしなし、すでに間近くつけよせしが、運強き重忠にて、我等が智略あらはれ、本意なくも討ち損じ一向に重忠と刺しちがへ死なんとは思ひしが、
思へば御身がなつかしく、子供が顔をも見まほしく、無念ながらもながらへて、扨只今の有様なり。誠に久しくあはぬ間に、子供もいたら成人、御身もずんと女房を仕上げたり。
なんでも今宵?はしっぽりと積るつらさを語らんとしとゝよれば P25

えゝ栄燿らしい、かく浪人の浮身といひ、殊さら敵を持?ったる身が、せめて一年に一度の便よりもし給はず。おゝそれと道理よ。この頃きけば、大宮司の娘小野の姫とやらんに、
深い?事と承る、もつともかな。みづからは子持?のうらぶれて見る目に、いやとおぼすれども、子にほだされての御出か。りんきするではなけれども、浮世狂ひも年?による。
しやほんにをかしいまで、よい機嫌ぢやのと、ありければ、景清打笑ひ P26

これは迷惑。其の大宮司の娘、小野の姫には、しかしかも言ばこそ、八幡八幡さら?した事で更になし。そち?ならでは、世の中にい??しい者があるべきかと、
尚ももたるゝ袖枕。阿古屋も心打ちとけて、思ふ余りの恋いさかい、犬が食ふとやこれならん。銚子盃たづさへて、弥石に酌取らせ、三とせ積りし物語、語らひあかし給ひける。
契の程こそゆかしけれ。景清宣ふやう。我久しく尾州に蟄居して、 P27

観音参詣怠れり。在京の間は、一先づ日参り志あり。去りながら、これより毎日往来せば、人のとがめも如何なり。轟の御坊にて、十七夜は通夜申す。
やがて帰り対面せんと編傘取って打ちかづき表をさして出で給へば、弥右門?まで送り出てさらばさらばの小手招きしをらしかりける生先なり。
こゝに阿古屋が一腹の兄、伊庭の十蔵広近は北野詣でをしたりしが、 P28

大息ついで吾が家に帰り、妹の阿古屋をかたはらに招き、これを見よ、誠に果報は寝て待てとや、悪七兵衛景清を討ってなりとも、搦めてなりとも、参らせたるものならば、
勲功は望み次第との、御制札を立てられたり、我等が栄華の瑞相、この時と覚えたり。兵衛はいづくにありけるぞ。早や、六波羅へ訴へて、一かどの御恩にあづからん。
如何に如何にと申しける。阿古屋は、 P29

しばし返事もせず、涙にくれて居たりしが、なう兄上ぞもや、御身は本氣にて宣ふか、たゞしは、狂氣し給ふかや、妾が夫にて候へば、御身のためには妹聲、
この子供は甥にて候はずや。平家のの御代にて候はゞ、誰かあらう景清と、飛ぶ鳥までも落ちし身が、今この御代にて候へばこそ、薮ならぬ、我々を頼りて、御入り候ものを、
例ば日本に唐土をそへて賜はるとて、そもや訴人がなるべきか、 P30

飛ぶ鳥ふところに入る時は狩人も助くるとよ。昨日までも今朝までも、へだてぬ中をたもやそも、のかれうものかさりとては、人は一代名は末代、思ひわけても御覧ぜよと、
泣いつくどいつとゞめける、十蔵からからと打ち笑ひ、やれ名を惜しみて得を取らぬは、昔風の侍とて、当世は流行らぬ古い事。其の上、御辺が夫よ妻よ、
なんどとて心中だてはしけれども、あの景清はな、大宮司が娘、小野の姫を最愛し、御身が事は当座の花、 P31

後悔するともかなふまじ、女さかしうして牛売らんとは、御ぶんが事ぞ、諸事は兄にまかせよ、と飛んで出づれば又引きとゞめ、いや大宮司の娘は人の言ふなし、悪口ぞや。
景清殿に限り左様の事は候まじ。よし人はともかくも、わらはが二世の夫ぞかし。左程に思ひすえ給はゞ、子供もわらはも殺して後、心のまゝになし給へ。
やあ生けらん内はかなはじと、すがりついてぞ泣き給ふ。然る所へ熱田の大宮司よりの飛脚なり。 P32

景清様の御旅宿はこれにてや候やらんと、やがて文箱を出しける。十蔵出て合ひ、如何にも如何にもこれは景清殿の旅宿にて候が、宿願あって兵衛殿は清水参詣いたされ候。
御文あづかり置き、帰へられ次第見せ申さん。明日御出で候へと飛脚を返し、兄弟文を開いて見れば小野の姫の文にてあり。かりそめの御上りましまして、 P33

いなせの便りもし給はぬは、かねがね聞きし阿古屋と言へる遊女に御親しみ候か。未来をかけし我が契、如何忘れ給ふかと細々とぞ書けれる。阿古屋は読みも果て給はず。
ハッとせきたる氣色にてうらめしや、腹立ちや、口惜しや、妬ましや、恋にへだては無きものを遊女とは何事ぞ。子のある中こそ誠の妻よ、かくとは知らではかなくも、
大切がり、いとしがり、心をつくせし口惜しさは人に恨は無きものか、 P34

男畜生いたづら者、アゝ、うらめしや、無念や、と文寸々に引きさきて、かこち恨みて泣き給ふ。道理とこそ聞へけれ。十蔵悦び、それ見たか。この上は片時も早く訴人せん。
最早、思ひ切ったか、と言えば、オゝ何しに心の残るべき。せめて、訴人してなりとも、この恨みはらしてたべ。実に好(よ)き合点、と立出づれば、又しばらくと引き止め、
とは言いながら、如何に恨みがあればとて、夫の訴人はなるまいか。いや又、思えば腹も立つ。 P35

悪いは女め、エゝぜひもなやと、或ひは止め、或はすゝめ、身をもだへてぞ歎かるゝ。十蔵袂を振り切って、エゝ輪廻したる女かな。そこ退けと突きのけて。六波羅さして急ぎしは、
料簡もなき次第なり。かくとは知らで景清は、清水寺に参籠し、?の御坊に通夜中し、同宿達に雙六打たせ、助言してこそ居られけれ。頃は卯月十四ゝ?、夜半ばかりの照る月に、
ひた兜、五百余騎、江間?の小四郎大将にて、訴人の十蔵眞先かけ、?の御坊を二重三重に取りまはし、 P36

鬨の聲をぞつくりける。元来こらへぬ荒法師、門外につゝ立って、そもこの寺は、田村将軍?この方守護不入の霊地なるに、狼藉は何者ぞ、夜盗なんどと覚えたり。
あれ討ち討(と)れ、小僧共と聲々に呼ばはれば、江間の小四郎駒かけよせ、さな言はれそ法師達、御坊に科はなけれども。平家の落人悪七兵衛景清、今宵こゝにこもりし由。
伊庭の十蔵訴人によって義時討手に向うたり。異議に及ばし?寺とも言はせじ、沙門とも言はすまじ。かたはし、斬って斬り散らせと言ひもあへぬに、
悪七兵衛、これに在りと斬って出る。 P37

常陸の律師?永?この由を見るよりも、慈悲第一のこの寺にて信心の行者を空しく討たせては観世音の誓願は如何ならん。防げや防げや法師ばら、さゝへよや下僧共。
承り候を衣の袖をしぼり上げ、得物得物を提げて三十余人の荒法師。五百余騎につゝ支へて、命を惜まず戦ひける。五百余騎が四方に分ってすきをあらせず防げども、
景清飛鳥の術を得たれば、左右なく討たれん?もなく、雙方しろみて控へたり。景清縁端につゝ立って、今宵の訴人は妻の阿古屋、同じく兄の十蔵と覚えたり。 P38

おのれ、??の恩愛を振りすてゝ、大欲?にふける愚人共、勿体なくもこの寺に血をあやす奇怪さよ。とても世になき某が、あ?のれらが身のためならば、何條命惜しからん。
人夛く討たせんより、女房兄弟をりあいて、搦め取れとぞわめきける。十蔵が下人、二三太と言ふ?くせもの分別もなく飛んでかゝる。景清にっこと打ち笑ひ、そばにありける雙六盤、
片手に取って投げつくれば、二三太が?向にひゞき渡ってはっしとあたれば、首は胴にぞにえこみける。オゝ、重五ともせぬ丁稚奴が、手柄しさうに見えたれど、
ぐしぐしとなりけるは、誠に愚人夏の虫と。 P39

倒れて立つところを、十蔵つゞいて斬ってかゝる。景清薙刀おっ取りのべ、虫同然の?葉武者、娑婆の訴人はこれまでぞ。閻魔の丁にて訴人せよと。受けつ流れつ斬り結ぶ。
江間の軍兵これを見て、訴人討たすな加はれど、どつと?れて押しへだつる。心得たりと景清は、西門を小楯に取り入り、かへかへ?大勢を左右にうけ、眉間眞向鎧のはづれ、
きらはず余さず打ちたつる。こはかなはじと軍兵共、十蔵ひきつゝみ六波羅さしてぞ引きにける。景清は今はこれまでと音羽の山の峯を超え、
梢とふみ分け厳をおこし、飛び越え。はね越え、 P40

刹那が間に飛ぶが如くに、東路さして落ち行きしは、まことに稀代の武夫やとさて感ぜぬ者こそなかりけれ。

第三

悪七兵衛は行方知れずなりたれば、最も天下の御大事と諸国のゆかりを詮議ある。中にも熱田の大宮司は、現在の勇とて千葉の小太郎搦め取って警固厳しく打ち連れさせ、
六波羅に引きすゆる。梶原源太大宮司に対面し、汝は富豪?のお大敵、平民の落人景清を、聲に取るのみならず、あまつきへ行方もなく落ちける。
罪科甚だ経?からず、いづかたへ落ちけるぞ。 P41

まっすぐに申せ。少しも陳ぜば拷問せんと、はったと怒って申しける。大宮司きゝ給ひ、仰せの如く景清とは、縁を結び候へ共、去年の春、国もとを立出で、今に便りも候はず。
土も木も源氏一統の御代なるに、一旦?じ申すとて、かくし遂げられ申すべきか。聲に取りしを曲事とて誅せられんは力なく候。行方においては存ぜぬと言葉すゞしく申さるゝ。
重忠仰せけるはもつとももつとも?、たとへ行方を知ったればとて、聲の訴人はいるされすまじ、たっては此方の不調法、如何に梶原殿、彼の景清は仁義第一の勇士なれば、
所詮大宮司を牢舎させしと伝え聞かば、 P42

舅の難を救はん?、自?と名乗り出でん事は、目前に見え候。この儀は如何にとありければ、おのおの評定もつともと、六波羅の北の殿に新造の牢を立て、大宮司を押しこめさせ、
厳しく番をぞせさせける。

小野の姫道行

人につらくは当?たらねど、何の報いや袖の露。涸れも果てなで小野の姫、い?はしや去年の春、天は都へいにしより、阿古屋の松の夕しぐれ、染めつけられて若紅葉、
恋や散らんとあけくれに、人目つゝみのくいくいと、案じわづらふ身の上に、父は都の六波羅へ、?となりてあさましや P43

うき目にあはせ給ふとの、其の音信をきゝしより、思ひに思ひ積み重ね、せめては憂きにかわらんと、乳母ばかりを力にて、旅の衣手涙冷めたき紅に、紅絹裏濡れて夕ざれし、
空飛ぶ鳥の帰るさに、もの忘れせぬ故郷の風と我が身に吹きかへて、今の門出を尾張ぞと、国の名残もつゝましく、身の種蒔きし産の神、熱田の宮居伏拝み、父と夫とを安穏に、
悪魔払へと取る弓の、桑名の船に梶枕、敷寝の苫のあらむしろ、肌へにあれてつらけれど、恋するあまが鴛?(エンワウ)の、夜のふすまとみるめ刈る。 P44

かつぐ苅藻(カルモ)は何々ぞ、歌に読まれしひじき藻や、かため甘海苔春もまた、若布まじりの目刺ほす、塩屋が軒に竹見えて幼?音をぞなく、花にまがひの桜海苔、
天をひたせば雲海苔に、月を包みて刈るとすれど、手には取られぬ桂男のアゝいぶさりは、いつ青海苔とかだめのりと身の相良布(サガラメ)と神馬藻?やあらめつらしと荒布かる、
二見の浦ははるばると、松のむら立色の浜、蒔絵によくも似たるよな、あとは白雲とばかりを、故郷の夢とそらさめて、庄野につゞく亀山は、たがため永き萬世と、 P45

かこつ涙はせきとめで、何をか関の地蔵堂、せめて未来を頼まばや、上りて下りて坂の下、谷川瀬にからりころり、ころころとなるは?鹿の鳴く声か、小石流れて行く音か、
いや水の泡散る玉でないよの、駒のひざぶしちりからからりの鈴鹿山、賎が草鞋のいとなみに、更けて藁打つ土山や、だての旅路に行くならば、買うてもたもれ水口の、
つゞら小笠に露もりて、おのがまゝなる?水は、櫛にたまらぬみだれ髪、とくとく行けば洛陽や、六波羅にこそ着かれけれ、扨父上のおはします。牢屋はいづこならんと。 P46

こゝかしこにたゞずみ給えば、折もこそあれ梶原源太、町廻りして帰へるさに、此の体をきっと見て、きやつが有様、たゞ者ならず、何者ざふと咎めける。
姫君聞召し、さん候。みづからは、尾張の大宮司が娘なるが、故も無きに父をとられ候故。我命に変らんため、これまで参り候と言はせも果てず、景李、オゝ皆まで言ふな、
おのれが親の大宮司に景清が行方を言へと言へども知らぬと言ふ。おのれは夫婦の事なれば、よも知らぬ事はあるまじ。すでに清水坂の阿古屋は子のある申さへ振りすてゝ、一度 P47

注進申せしぞや。ありのまゝに白状せよと、小がひな取って怒りける。ならうらめしや命をすてゝ、これまで出るほどの心にて、たとへ行方を知ったればとて、申さうか。
この上は水責、火責にあふとても、夫の行方は存ぜぬなり。たゞ父上を助けてたべと、声をも惜しまず泣き給ふ。オゝ言ふまでもない事さ。おのれ落ちずばたゞおくべきかと。
高手小手にしぼりつけ、六條河原に引き出し、種々に拷問したりしは、なら情ならこそ見えにけれ。梶原が親子が奉行にて、方一町に垣をゆひ、突棒、刺股、鉄の棒、兵具ひつしと P48

並べしは、さながら修羅の獄卒が、八逆五逆の罪人を呵責にかくる如くなり。いたはしや小野姫、荒き風にも当てぬ身を、裸になして縄をかけ、十二の梯子に胴中をしばりつけ、
哀れも知らぬ雑人共。湯桶に水をつぎかけつぎかけ、落ちよ落ちよと責めけるは、たゞ瀧つ瀬の如くにて、目も当てられぬ景色なり。むざんやな小野の姫。息も早や絶え絶えに、
心も乱れ目くるめきすでに最期と見えけれども、いやいや武士の妻となり、心弱くはかなはじ、と、さあらぬ体にもちなし。如何に方方、夫の景清常に清水寺の観世音を P49

信仰し、我にも信じ奉れと深く教え給ふ故。今とても尊號を絶えず称へ奉れば、この水は観音の甘露法雨と覚えたり。今この水にて死する命は惜しからじ。夫の行方は知らぬぞや。
千日千夜も責め給へ。南無弥、大非観世音と。苦しき息をおしかくし、潔よくは宣へども、さすが強き拷問に、声も濁り、身も振ひ、弱々となり給ふは、さても悲しき次第なり。
やれ古木責にせよやとて、細首に縄をつけ、松の枝に打ちかけて、えいやえいやと引上ぐる下ろせば少し息をつぎ、引き上ぐれば息絶ゆる。哀れと言ふも余りあり、例、如何なる P50

鬼神も、これにては落つべしと、二三度四五度責めかければ、今はかうよと見えけるが、又目を開き、なう梶原殿、この木の上に吊上げられ、世界を一目に見下せども、
夫の行方は見え申さず、方々も慰みにちっと上って見給はぬか。これへこれへ、とありければ、景時腹にすゑかね、扨々しぶとき女かな。この上は引き下ろして火責にせよと。
炭薪を積み重ね団扇を以てあふぎ立てあふぎ立て、天をかすめ黒煙焦熱地獄と言つべし。すでに責めんとせし所に、悪七兵衛景清いづくにてか聞きたりけん。
諸見物のその中を飛び越え P51

跳ね越え垣の中におどり入り、こりや景清ぞ、見参とあたりをはったとねめまわし、仁王立にぞ立ったりける。姫君はっと肝つぶれ。立寄らんとし給へば、人々取って引きするゑ、
すは、景清をのがすなと、一度にはらりと取りまわす。景清からからと笑ひ、エゝぎゃうぎゃうし、この景清が隠れんと思へば、天にも昇り地をもぐらんずれども、
妻や舅が憂き目を見る悲しさに、身を捨てゝ出でたれば、もはや氣遣ふことはなし。さあ、寄って縄をかけ、六波羅へ連れて行け。
妻や舅を助けよと、手向ひしてんず氣色なし。姫君を流し P52

口惜しの有様や。みづからや、父上は生きて甲斐なき憂き身なるに、御身は永らへ本望を遂げんとはおぼさず。何とてこれへは出て給ふ。あさましの御所在やと、又さめざめと泣き給う。
景清も涙をおさへ、おゝ、頼もしの心底や。人は素性が恥ずかしゝ。小仲をなせし阿古屋めは。夫の訴人をしたりした。御身は命に変らんとは頼もしや嬉しやな。
さりながら、父大宮司の御事心もとなう覚ゆれば。御身はこれよりとうとう帰へり。菩提を弔うてたび給へと。鬼をあさむく景清も不覚の涙を P53

流しける。道理せめて哀れなり。この事、六波羅に聞えしかば。重忠大宮司を同道にて、六條河原に馳せ来り。さても景清、人の難儀を救い、我が身を名乗りて出でらるゝ段、
近頃、神妙最もかうこそあるべけれ。この上は、小野の姫、大宮司共に、御赦免なさるゝ條、景清に縄をかけ。急ぎ引き立て申すべし。畏って、人々縄よ、綱よとひしめけば、
景清悦びそれこそ望む所よと、おのれと千筋の縄をかゝり、先に進めば小野の姫、なうみづからも諸共と。駈出で、取りつき泣き給ふを、大勢中を押し格子に切組んで P54

一尺二寸の大釘のうらを返さず打ったれば、劔を植えたる如くなり。七尺豊の景清を二重に取って押し入れ、髪を七杷に束ねて七方にこそ吊ったりけれ。足をば牢より引き出し、
左手、右手へ取りちがへ、山出し七十五人して、曳いたる楠木にてあげほだしをうたせ、しっちやう詰金、唐々、枢、千引の石、材木を積み重ね、首には根堀りの大筒を P55

三本?までかつかせたり。諸人に見せて恥かゝせよと。番も警固もつけざれども、なかなか五代は働ず。されば文王は菱里に囚はれ、公治長は刑戮にかゝれり。君がめ名のため、
何ぞかって憂へんと、観音経の読誦の外、世間口を閉ぢたれば、声聞耳に閉せり。働く物は両眼のみ、見る目も悲しく哀れなり。い?はしや小野の姫、不思議の命助かり。
牢屋近きに宿をとり、 P56

酒果物をとゝのへて、牢屋の格子に立寄り、い?はり給ふぞ哀れなり。やうやうとして、景清心地よげに酒を飲み、今日は一しほ骨髄にとほって候。誠に御身の志、
いつの世にかは忘れるべき。さてかりそめながら、某は天下の朝敵さだめて最期も遠からじ?。今景清が生きたる顔を形見にて。とうとう御身は尾張へ下り、後世を弔うてたび給へ。P57

これにつけても阿古屋めが、心底の恨めしさよ。二人の子供も、今は、早殺してや捨てつらん。思へば思へば。景清の運のつきこそ、口惜しけれと恨みかこちて泣き給ふ。
姫も涙を流し、御仰せはさることなれども、とてもみづからは、御最期の先途を見届け、とにもかくにもなり参らせん。一日も一時も、御命のあらん内は往生の御営みを、
心にかけて何事も、定まることを思召し。 P58

人をな恨み給ひそよ。何時迄もこれに在り度し?候へども、人目しげう候へば、明日、又、参り申さんと泣く泣く帰へり給ひける。
これは扨おき阿古屋の前、弥石、弥若諸共に、山崎山の谷陰に深く隠れておはせしが、景清牢舎と聞くよりも、我が身を在るあらばこそ。六波羅に走りつき、この体を一目見て、
なうあさましの御風情や。 P59

やれ、あれこそ、父上、我が夫と。牢の格子にすがりつき、泣くより外の事ぞなき。景清大のまなこに角を立て、やれ、物知らずめ。人間らしく言葉を掛るも、無益ながら、
かほどの恩愛を振りすて、夫の訴人をしながら、何の生面下げて、今この所へ来りしぞ。おのれ、指一つかなひなばつかみひしいで、すてんものをと。
歯がみをしてぞゐられける P60

げに御恨みは理なれども、わらはが事を聞き給へ。兄にて候、十蔵、訴人せんと申せしを。再三、とゞめて候ところに、大宮司の娘小野の姫とやらんより、親しき御文参りし故、
女心のあさましさ。嫉妬の恨みに取り乱れ。後先のふまへもなく、当座の腹立やるかたなく、ともかくもと申しつる。後悔先に立たばこそ、さはさりながら、
嫉妬は殿御の愛しさ故。女の習、 P61

誰が身の上にも候ぞや。申譯致すほど、皆言ひ落ちにて候へども、今迄のよしみには、道理一つを聞きわけて、たゞ何事も御免あり。今生にて今一度、言葉をかけてたび給はば、
それを力に自害して、わが身の言訳立て申さんと、地にひれ伏してぞ泣きゐたる。むざんやな、弥石、父が姿をつくづく見て、なう父上程の剛の者が、
何故やみやみとは捕はれ給ふぞ。 P62

いで押し破って、助け奉らんと柱に手を掛け、えいやえいやと押せども、引けども、ゆるがばこそふびんなりける所存なり。弟の弥若、絆(ホダシ)の足に抱きつき、
痛いかや、父上様。なう痛むかと、撫で上げ撫で下げ、さすり上げ。兄弟わっと叫びければ、思い切ったる景清も。不覚の涙せきあへず。やゝあって涙を押へ、
やれ子供よ。父がかやうになりたるはな、皆あの母奴が悪心にて。 P63

縄をも母がかけさせ、牢にも母が入れけるぞ。邪見の女が胎内より出でたる者と思へば、汝等迄が憎いぞえ。父とも思うな、子とも思はじ。はやはや帰れと叱るにぞ。
子供は母にすがりつき、なう、父をかへしや、父上かへせと、ねだれ歎きし有様は目も当てられぬ次第なり。阿古屋は余り堪へ兼て、
よし、この上は、みづからはともかくも、可愛いやな、兄弟に、 P64

やさしき言葉をたゞ一言、さりとてはかけてたべ。なう子は可愛ゆうは思さぬかと、又せき上げてぞ歎かるゝ。景清重ねて、お事が様なる悪人に、返答もせじとは思へどもな。
今の悔みをなど、最前には思はざりしぞ。されば、天竺に獅子と言ふ獣あり。身は畜生にて在りながら、智慧、人間を超えたれば。狩人にもとられず、かへって、人を取り食う。 P65

されども、腹中に蠧毒(とどく)と言へる虫あって、この虫、毒を吐く故に、体を破って自滅すなり。されば女の嫉妬の仇、人を恨むと思へども、夫婦は同じ体なれば、
皆、これ、我が身をせむる理。和御前が様なる我慢愚痴の猿智慧を、獅子身中の虫にたとへて仏も戒め給ふぞや。汝が心一つにて、本望も遂げずあまつさへ、恥辱の P66

上の恥辱を取り、今言ひわけして妻子は歎くを不便よとて、日本一の景清が再び心を返すべきか。何程言うても汝が腹より出でたる子なれば、景清が敵なり。妻とも子とも思はぬと、
思ひ切ってぞ居たりける。扨は如何程申しても、御承引あるまじきか、オゝくどいくどい見苦しきに、早や早や帰へれ思ひ切ったぞ。なうもはや P67

ながらへていづかたへ帰らうぞ。やれ子供よ、母があやまりたればこそ、かく詫言いたせども、つれなき父御の言葉を聞いたか、親や夫に敵と思はれお主らとても生甲斐無し。
この上は父親もったと思ふな。母ばかりが子なるぞや。みづからもながらへて非道の浮名流さんこと、未来をかけて情なや。いざ諸共に死出の山にて言いわけせよ。如何に P68

景清殿、わらはが心底これまでなりと、弥石と引き寄せ守刀をずばと抜き、南無阿弥陀仏と刺し通せば、弥若おどろき声を立て、いやいや我は母様の子ではなし。
父上助け給へやと。牢の格子へ顔を差し入れ差し入れ逃げ歩く。エゝ卑法なりと引き寄すれば、わっと言ふて手を合せ、許してたべ、こらへてたべ、明日からは P69

おとなしう。月代(サカヤキ)も剃り申さん。灸をもすえませう。さても邪見の母上様や、助けてたべ、父上様。と息をばかりに泣きわめく。オゝ理よ。さりながら、
殺す母は殺さいで。助くる父御に殺さるゝぞ。あれ見よ。兄もおとなしう死したれば、お事や母も、死なでは、父への言ひわけなし。
いとしい者よ。よう聞けとすゝめ給へば聞き入れて P70

アゝそれならば死にませう。父上さらば。と言ひすてゝ、兄が死骸によりかゝり、うちあふのきし顔を見て、いづくに刀を立つべき、と阿古屋は目もくれ、手もなえて、
まろび伏して歎げきしが、エゝ今はかなうまじ、必ず前世の約束と思ひ、母をばしうらむるな。おっつけ行くぞ。南無阿弥陀と心もとを刺し通し、
さあ今は恨みをはらし給へ。迎へ給へや P71

御仏、と刀をのどに押しあて、兄弟が死骸の上に、かっぱと伏し、共に空しくなり給う。さてもぜひもなき風情なり。景清は身をもだへ、泣けど、さけべど、甲斐ぞなき。
神や仏は無き世かの、さりとては許して下れよやれ兄弟よ。我が妻よと。鬼をあざむく景清も声をあげてぞ泣きゐたり。ものゝ哀れの限りなり。 P72

かくとは知らで伊庭の十蔵梶原がとりなしにて、少々勲功にあづかり若党小物あまた連れ、遊山より帰りが、この体を見て肝をつぶし、これはさて、しなしたり、しなしたり。
不便の事を見るものかな。これ侍ども、我がこの如く御恩賞を受け、栄耀栄華に栄ゆるも、きゃつ等を世にあらせんため、このごろ方々尋ねしかども、行方のなかりしが、 P73

さて何者ぞ、偏執を起し害せしか。但しは大宮司が計いと覚えたり。よし何にもせよ、なほ景清に言ふぶんあり。先づ先づ死骸を取りおけと、かたはらに葬ぶらせ、
牢屋に向って立ちはだかり、これさ妹婿殿、いかに恨みあればとて、現在の妻子を目前に殺させ、腕かなはずばなど息ぼねでも立てざるぞ、内々は某 P74

御辺が命を申しうけ、出家せさせんと思ひしが、もはやほってもならぬ、ならぬ。侍畜生大だわけと、いかつはって申しける。景清くつくつとふき出し、こりやうろたへ者、
あの者共はおのれが貪欲心を悲しみ自害したるが知らざるか、それさへあるにうぬめが口から侍畜生とは誰が事ぞ。命を惜しむ程ならばかゝる大事をたくらむべきか P75

まった生きようと思ふ程ならば、べろべろ柱の五十や百、この景清が物の数と思うか。心中に観音経読誦する嬉しさになぐさみ半分に牢舎してあるものを、
緩怠するぎたる?(たわ)言つき二言と吐かば、つかみひしひで捨んずとはったとにらんで申さるれば、十蔵かんらかんらと笑い其の縛にあひながら、某を掴まんとは腕なしの P76

振りづんばい。かたはらいたし事をかし。幸い此の頃けんびき痛きに、ちっとつかんで貰いたし、とそらうそぶいてゐたりける。景清腹をすゑかね、いでもの見せん、と言いもあへず、
南無千手千限生々世々。一聞名号滅重罪、大慈大悲観音力と金剛力を出し、えいやっと身振いすれば、大釘大繩はらはらずんと切れてのいた P77

貫木(かんぬき)取って押しゆがめ、扉をかっぱと踏倒し、大手を広げて跳り出て八方に追ひ廻すは荒れたる夜叉の如くなり。群りかゝる若堂中間ばらばらと蹴り倒し、
十蔵をかいつかみ取って押し伏せ、背骨折れよとどっとふまへて、何と景清を訴人して御褒美にあづかり、栄華と言ふは此の事か、と二つ三つ踏みつくれば、なうかなしや P78

骨もくだくけて息も絶え入り候。御慈悲に命を助け下されと声を上げ歎きける。景清手をたゝき打笑い、オゝ、某が褒美には広い国を取らせん、と両足取って逆さまに引き上げ
肩を踏へて、えいやっと裂きければ、胴中より眞二つにさっと裂けてぞのきにける。エゝ、心地よし。氣味よしと弓手馬手へからりと捨て、さあ、すましたり。 P79

この上は関東へや落ち行かん。いや西国へや立ち退かんと行きつもどりつ、もどり行きつ、一町許り走りしが、いや今度落ちうせなば、又大宮司や小野の姫憂き目を見んは
必定と思ひ定めて立ち帰へり、元の牢屋に走り入り、内より貫木しとゝしめ、千筋の縄を身に纏い、さあらぬ体にて普門品(ふもんぼん)、読誦の声はおのづから P80

即身菩薩の変化ならん、と皆奇異の思ひをなしにける。

第五

右大将頼朝公南都の大仏御再興ましまし、すでに成就と訴ふれば、供養の報謝に急ぎ大赦を行ふべしと、天が下の科人京鎌倉の牢を開き、残らず御免なされける。
中にも悪七兵衛景清は P81

大事の朝敵重罪なれば、助くるにところなく佐々木の四郎に仰せられ、遂いに首を刎ねられ今は四海太平なり。大仏供養御聴聞あるべしと、諸国の大名御供にて南都の御下向なされける。
路次の行列花やかなり。すでに我が君、小倉堤にさしかゝり給ふ時、畠山の重忠、息をばかりに馳せ来り、御馬の前に P82

ひざまづき、扨も悪七兵衛は御成敗の由承り候へ共、いまだつゝがなく牢の内に罷り在り候。一大事の囚人(メシウド)なれば、さっそく首を刎られ、然る可く?候はんと、
謹んで申し上くる。頼朝聞召し不思議の事を申すものかな、景清は佐々木の四郎に申しつけ、一昨日の暮ほどに首を打たせ、即ち其の首、頼朝が見参して P83

獄門に掛けさせしが、僻事なるかと仰せける。重忠重ねて其の段は存ぜず候へども、重忠は今朝景清が生顔を確かに見て参り候と言ひも果ぬに佐々木の四郎つゝと出て、
いやこれ畠山殿、筋無き事な申されそ、其の景清は某仰せを承り、高綱が手にかけ首を刎ね、我が君の?検にそなへ、三条畷に獄門に掛けて候ものを、景清が P84

二人在るべきか、近頃粗忽千萬とあざ笑って申さるゝ。重忠聞き給ひ、もっともっと御文が手にもかけつらめ、又重忠も確かに見て候は如何に、高綱色をちがへて、はてらちもない事、
一度斬ったる景清が、よみがへるべき事もなし。それは定めて血迷うて、何をがな見られつらん。但しは寝ほれて夢をばし見給うか。いやさ御文がうろたへて、よしなき者を景清と P85

思いきったるか、夢を見たるか、あわてたるか。これ目を覚まして思案せよと、氣色かはつて爭ひける。頼朝段々聞召しいか様、佐々木畠山粗忽ある人にてなし、
不思議千萬晴れやらず。いでこれより取って返し、頼朝ぢきに見分くべし。おのおの静まれ静まれと、御馬の鼻を立てなおし、都に帰らせ給ひける。
さる程に三条畷に景清の首を斬り掛け、平家の一族謀反の棟梁 P86

悪七兵衛景清と高札?を添へられたり。頼朝立ち寄り御覧あり。高綱重忠を招き、これ見られよと仰せける。重忠尚も不審晴れず、諸大名立ちかゝり、
よくよく見れば今迄景清の首とみえけるが、勿ち光明赫として千手観音の御首と変じ給ひける。歴劫(りゃくごう?)不思議ぞ有難き。しかつし?へ清水寺の大衆達、
我も我もと馳せ参じ、扨も一昨日の夜中より P87

仏前の蔀(シトミ)おのおの開て候故、もし盗人の仕術にやと御戸を開きて候へば、観音の御首斬れて失せさせ給ひ、切口より血流れて、礼盤長床朱に染み、
勿体なき御風情に拝まれさせ給ひ候故、驚き入って御注進申し上げ候と、事の次第を申し上ぐれば、君を始め奉り、畠山も高綱も供奉の上下おしなべて、
あっと感ずるばかりなり。君信心の P88

感涙を流させ給ひ、誠や景清、年来清水寺の観世音を信じ奉り、十七の春より三十七の今日まで毎日三十三巻の普門品読誦?怠なく修行せしと聞きけるが、疑ひもなく観世音。
兵衛が命に代らせ給ふ有難さよと御手を合させ給ひければ、僧俗男女下々まで皆々礼拝恭敬して涙を流さぬ者もなし。重ねての御諚にはかくては、いかゞ勿体なし。 P89

急ぎ千人の僧を供養し一萬座の護摩をたかせ、御首をつぎ奉れ、法事の上にて景清にも対面すべし。いざ頼朝も参詣せんと御身を浄め、仏の御首を直垂の袖に受け入れて、
清水寺へ御参詣ためし稀にぞ聞えける。枯れたる木にも咲く花の、千手の誓ぞ有難き。かくて頼朝御法事も事終り、仏の御首を継き参らせ、宿坊に入らせ給ひける。 P90

時に佐々木、畠山、景清夫婦を伴ひ御前に出でらるゝ。頼朝御覧じ珍しや、景清よ、我を平家の敵とて狙ひ討つべき志、神妙神妙、もっとも武士のいきどほり、
突?にもさらもあるべけれ。然れば頼朝が為?には、御辺又敵なれば、討って捨つべき者なれども、汝が身には観世音入り替りまします故 P91

?再び誅せば観音の御首を再び打つ道理、もったいなしもったいなし。若し又、頼朝運?盡きて御辺に討たるゝものならば、観世音の御手にかゝると思ふべし。この上は助けおき、
日向の国、宮?の庄をあて行うと御懇情の御詞に御判をそえ?て賜はりける。景清涙をとめかね、誠に身に余りたる。御諚の段生々世々に有難く魂に徹って覚え候。 P92

斯く情ある我が君と知らで、狙い申せし景清が、所存の程こそくやしけれと、御前をもうち忘れ、声を挙げてぞ泣きゐたり。さて御土器賜はり諸国の大名残りなく、皆々盃さし給ふ。
重忠仰せける、かゝる目出度き折といひ、かつ?は我が君御慰めの?和殿八嶋にて、功名の様子語りて聞かせ給へ。内々君も御所望なりしぞひらにひらに、とありければ P93

頼朝公を初め参らせ満座の人々一同に、早く早く、と望まるゝ。景清辞するに及ばねば、袴の裾を高く取り御前に色代し、過ぎし昔を語りける。
いで其の頃は、寿永三年三月下旬の事なりしに、平家は船、源氏は陸、両陣を海岸に分つて、互に勝負を決せんと欲す。能登守教?経宣ふやう、去年播磨の室山備中の水島 P94

?越に至るまで、一度も味方の利なかつしこと、ひとへに義経が謀、いみじきによってなり。如何にもして九郎を討たん事こそあらまほしけれと宣へば、景清心に思ふやう、
判官なればとて、鬼神にてもあればこそ。命を捨てば易すからなん、と教経に最期の暇乞ひ陸に上れば、源氏の豪者余すまじとぞ駈け向う。景清これを見てものものしやと P95

夕日影に打物ひらめかいて斬ってかゝれば、こらへずして刃向いたる豪者は四方へぱっとぞ逃げにける。さもしや、方々よ方々よ、源平互に見る目もはづかし一人をとめんことは、
案?のうち物小脇にかひこんで、なにがしは平家の侍、悪七兵衛景清よと名乗りかけ名乗りかけ、手取にせんとて追うて行く三保の谷が着いたりける。
兜の錣を取りはづし取りはづし、二三度逃げのびたれども、 P96

思ふかたきなれば、のがさじと跳びかゝり、兜を押っ取り、えいやと引くほどに錣は切れて、こなたにとまれば主は先きへ逃げのびぬ。はるかにへだてゝ立ちかへり、さるにても
汝恐しや、腕の強きと言ひければ、景清は三保の谷が頸の骨こそ強けれと、笑ひて左右へのきにける。昔忘れぬ物語、おはづかしう候と、語り給へば人々は、一度に P97

どつとぞ感じける。かくて我が君、御座を立たせ給ひければ、大名小名つゞいて座をぞ立ち給ふ。景清君の御後姿をつくづくと見て、腹の刀をするりと抜き、一文字にとびかゝる。
おのおのこれはと氣色を変へ太刀の柄に手をかくれば、景清しさって刀を捨て、五体?をなげうち涙を流し、ハ??南無三宝あさましや。いづれも聞いて給はれ、かく有難き御恩愛 P98

を受けながら、凡夫心の悲しさは、昔にかへる恨みの一念、御姿を見申せば、主君の敵なるものをと、当座の御恩ははや忘れ、びろうの振舞ひ面目なや、眞平御免をかうぶらん。
誠に人の習にて、心にまかせぬ人心。今より後も我と我身をいさむるとも、君を拝むたび毎に、よもこの所存は止み申さず。かへって仇とやなり申さん。
とかくこの両眼のある故なれば、今より君を P99

見ぬ様にと、言ひもあへず差添ぬき、両の眼玉をくり出し御前に差上げ、頭をうなだれゐたりけり。頼朝甚だ御感あり。前代未聞の侍かな。平家の恩を忘れぬ如く、
又頼朝の思をも忘れず、来世に忠を盡すべき。仁義の勇士、武士の手本は景清と数々の御褒美浅からず。鎌倉さして入り給へば、 P100

なお景清は観音に三萬三千三百巻の普音?品を読誦して日向の国を?領し、悦び悦び、退出す。なおなお源氏の御繁昌国静謐(ヒツ)のはじめなるはと萬ゼ?をぞ、となへける。

右此?者太夫直の??をもって板行致候。されば初心稽古のため、ことごとくかな書にして、ふし、しやう、くぎり、三味線ののりかた、ほどびやうし、三重おくり品々、
ひみつ残さずあらはし令板行者也。

江戸通油? 鶴屋喜右エ川 京寺?二条上ル? 鶴屋喜右エ門 板本 P101

隔てあたりを払って引っ立て行く。景清の心底、勇あり、義あり、誠あり。前代未聞のをのこなりとて、皆武士の手本と仰ぎける。

第四

かくてその後、げにや、猛将勇士も運?つきぬれば力なし。不便やな景清、鎌倉よりの評定にて、六波羅の南表に、初めて牢を立てさせらる。?白樫、楠の木、栂(トガ)の木、
長さ一丈にとらせ、地へは七尺堀入れ、上三尺の詰牢に、しこの木をもって蜘蛛手 P102