熊野神社
所在地 山之口町大字富吉四六七〇番地
祭 神 伊邪那岐命 伊那那美命 豫母都事解男命
例祭日 十月十九日
創建の年時はよく解っていません。昔から三所権現と呼ばれていたそうです。明治四年(一八七一)七月村社として位置づけられました。
熊野神社改築記念灯籠の由緒書(一九一六年作成)によると、元は木上権現とも言われ、創立は和銅三年(七一〇)とあります。
この社には次のような伝説があります。(三国名勝図会)
「天保八・九年(一八三七)の頃、誰のしわざか神体の木造の眼に釘を打った者あり。
時に塊火が社の上空より寅(北東)の方角へ向って飛んだ。その火は四里(十六km)余り彼方の山之口村飛松の熊野権現廟の辺りで消滅した。
その火の発した音は石火矢(弩・大砲)が轟くように大きかった。土地の人たちは、神霊が不敬を怒って飛松の廟に移られたと悲しみ、
修善寺の住僧忍性に請うて神楽を奏して釘を抜いてもらった。この日社の上空に再び塊火が現れ、しばらくの問消えなかったという。
土地の人たちは神霊の還宮を仰ぎながらとても喜び今日に至るまで畏敬している。」
ここの神社内には毘沙門天の像が安置されていて、土地の人たちは「まむしの神さま」として崇めています。