山之口(一之渡)御番所跡
六十田古大内
麓方限 元和元年(一六一五)地頭大寺主計介
山之口城の北西、古大内川の手前にあった関所で藩治の頃島津氏が設けた。
郷内で最も厳重な関所で「切り寄せ」とも言っている。
元和元年(1615)古河内に建てられたこの番所は山之口番所と呼び、天和4年(1684)には一の渡番所、文政6年(1823)には再び山之口番所と呼んでいる。
古大内から鬼山越えをして飛松に至る街道はここで初めて大古内川を渡るから一の渡しと云ったものであろう。
六十田古大内
麓方限 元和元年(一六一五)地頭大寺主計介
山之口城の北西、古大内川の手前にあった関所で藩治の頃島津氏が設けた。
郷内で最も厳重な関所で「切り寄せ」とも言っている。
元和元年(1615)古河内に建てられたこの番所は山之口番所と呼び、天和4年(1684)には一の渡番所、文政6年(1823)には再び山之口番所と呼んでいる。
古大内から鬼山越えをして飛松に至る街道はここで初めて大古内川を渡るから一の渡しと云ったものであろう。