的野正八幡宮
所在地 山之口町大字富吉一四一二番地一
祭 神 息長足姫命 誉田別命 玉依姫命祭祀日
大 祭 例祭(御神幸祭)十一月三日 春祭(祈念祭)三月初卯の日 秋祭(新嘗祭)十一月二十五日。
的野正八幡宮は、和銅三年(七一〇)元明天皇の奈良朝時代の創建と伝えられています。
大隅国分正八幡宮(現在の鹿児島神宮)の末社だとされています。
天文年間(一五三二~五五年)の兵乱の中において領主島津忠相が戦勝祈願をしたところ霊験あらたかであったので、
それ以降山之口郷花木、高城郷桜木などの土地を神田として寄進しています。
また祭米一斗七升五号宛を祭料として供進するなど歴代の藩主から尊び崇められてきました。
なお、三俣院(現在の山之口町・三股町・高城町・都城市の一部)の総鎮守の社でもありました。
明治四年(一八七一)七月郷社(県社と村社の問)に列せられたときに的野八幡宮から圓野神社と改名しました。明治六年神殿を改築。
明治十九年台風のため倒壊したので改築。大正元年またもや台風で破損。大正三年(一九一四)二月二十八日修復。昭和四年(一九二九)神殿屋根を銅板葺としました。
平成十四年(二〇〇二年)改築、再び的野正八幡宮と改名。